さとえ学園小学校
教諭 山中昭岳
梅雨時期で外での活動ができない(雨たんけんはバッチリやりました!)と思っていたら、梅雨が明け、さあ外でバンバン活動するぞ!と意気込む間もなく、関東では熱中症警戒アラートが発令され、外での活動が制限されています。
栽培単元では、ちょうど今、1年生が育てているアサガオや2年生が植えた夏野菜がぐんぐん大きくなり、外へ出て観察したいところですが、皆さんはどうされているでしょうか。
私たちの学校では、1年生から1人1台のタブレットを活用しています。授業ではもちろんのこと、宿題や家庭との連絡の場面でも活用し、今や学校生活においてなくてはならないツールになりつつあります。
以前、低学年でのタブレット活用法の一例として、記録として写真に残しておくという活動を紹介しました。
今回は、記録として写真に残したものを活用することで、失敗が大きな成長につながることを子ども自身が体感できる実践となります。
6月の某日。雨天、熱中症警戒アラート等で外での活動が制限されていますので、アサガオや夏野菜を外でじっくりと観察して、スケッチをすることができません。
そこで私は、子どもたちに外で実物を目の前にして、じっくりと諸感覚を使ってかくことができないことを知らせ、「と・り・あ・え・ず写真を撮っておいて、それを見ながら教室でかこう」と伝えます。
ここでは、写真の撮り方は一切指導しません。
さて、教室に戻り、撮影してきた写真を見ながらのスケッチが始まりました。
すると、子どもたちから「この部分をもっと見たい」「この角度からの写真がほしい」「ここをもっと大きくみたい」などの声が聞こえてきます。教師からの声掛けは「どうしたいの?」に留め、教師に行動を決めたもらったり、アドバイスをもらったりするのではなく、一度自分で何をしなければならないのかを考える時間を取るようにしています。
自分の中に「もっとこうしたい」といった思いが生まれることで、次に撮影するときには、写真を撮る枚数や角度、写したいポイントなどを自ら決めてできるようになっていきます。
最初の撮影で、写真の撮り方について教師が何も言わないと「1枚だけ撮って見直して、上からきれいに撮れていることに満足して終わる」ことが多いです。この時、いろいろな方向から写真を撮ることに気付いている子がいる場合も、その場では全体に共有しません。その場でそのことを伝えてしまうと気付きの質が低いからです。
栽培単元の学びにおいて、写真を撮ることの意味が「きれいに撮る」ことではなく、生長の変化を読み取ることと理解できるよい場面となります。自らの失敗に気付かないまま、ただいろいろな方向から撮るといいという情報を与えても上記のような理解は促せません。
生活科において、気付きの質の高まりとは、このように教師があえて何もお膳立てしないことで、子どもがやってみて失敗し、どうしたらよかったのかという切実感をもったときに友だちとの交流の場をもったり、教師が適切な声掛けをしたりすることで、子どもが自分ごととして捉えて「ああ、なるほど!」と納得できたときです。このような活動の積み重ねが、すべての学びにつながる主体性を育むこととなるのです。
つづく
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プロフィール
さとえ学園小学校
教諭 山中昭岳
なぜ、小学校の先生に?
給食、遠足、修学旅行。楽しく、変化いっぱいの毎日が過ごせ、誰よりも一番近くで子どもたちの成長する姿をみることができるから。
my belief
先生は子どもたちにとって空気のような存在